城端別院 善徳寺から、町は生まれた
2017年 07月 14日
城端の町並みは、『越中の小京都』とも呼ばれることもあるようです。
まちの興りは、現在の町の中心に位置する 真宗大谷派の城端別院
【善徳寺】がこの地にひらかれたことにはじまるそうです。
蓮如上人とその後継者が北陸地方に布教活動の中で、この城端で
戦国時代から江戸時代を経て、加賀藩の庇護のもとで、町の人々の
信心を得て、ともに現在へと歴史を紡いでいます。
山門をはじめとして境内には、これまで数百年間大火にあうことも無く、
重厚な木造建築物がのこり、いまでも365日欠くことなく本堂ではお勤めが
行われています。
その山門に刻まれた彫刻などには、風雪に耐えた伝統技術が光沢を失い
ながらも、現代人の私たちのこころに訴える大きな力をもっているように
感じます。
そして、この寺院を中心にこの地で産業が発展するとともに、集まってきた
町人たちに京都や加賀藩の文化が根付き、町人自らの手で、磨き上げてきた
のだそうです。
その姿は、毎年5月に行われる【城端曳山祭】としてみることができます。
そんなわけで、次回はその曳山祭りに触れたいと思います。
真宗大谷派 廓龍山 善徳寺 2017.7.12 撮影
by tabinoirodori
| 2017-07-14 22:35
| まち歩き
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