『絓絹』が紡ぐ「城端絹」の情熱的魅力
2017年 07月 21日
小学生の社会の時間だったでしょうか。
養蚕業や繊維業(絹織物)について学習した記憶があります。
もうン十年も前のことです。
今でも、地域によっては、学校でカイコ(蚕)を育てる授業に取り組んで
いるところもあるようですが…
それでも、現代ではそうそう簡単に目にすることはなくなってしまい
ましたね。
世界遺産登録された【富岡製糸場】も絹糸の生産地ですが、こうした
産業を支えたのが養蚕業であり、そのため周囲には桑畑が広がっていた…
現在国内では、もう養蚕業はほとんど成り立っていないとお話を伺いました。
実は今回の旅には、実は私の母が同行していたのですが、ショールームで
応対していただいた女性と会話を進めるうちに、その母が、子どものころ
(それこそ半世紀以上前!!)金沢の浜辺に近い町にも桑畑があり、自宅で蚕を
育てたことがあるという話をして、盛り上がっていました。
私自身もそんな話を母の口から聞いたのははじめてのことで、驚きでした。
さて、前回記事から登場している、この女性、失礼ながら事務員さんか何か
かと思っていたら、どうやらここ『松井機業』さんの6代目(見習い)である,
松井紀子さんだということを、会話の途中で手にした城端絹のパンフレットを
見て気づいたのでした!!
さて、この機業場で生産される絹織物は、通常の繭から生成された糸では
なく、稀に二頭の「御蚕様」が一緒になってひとつの繭(玉繭)を作るという、
貴重なその糸を織り上げたものが【絓絹】(しけきぬ)と呼ばれる城端の絹なの
です。
どうりで、こんなに情熱的に語られるのかあ、と思ったのですが、
とにかく、いままで知らなかった「蚕」と「絹」の魅惑の世界にどんどん
引き込まれていきます。
そんな説明をいただきながら、実際に商品を見ると、やわらかで、
落ち着いたトーンの白色を基本に、淡く天然の染色を施した品々からは
やさしさと癒しに包まれているような気持ちにもなってきます。
「モノ余り」といわれる時代を経て、現代は改めてホンモノを求める
人も多くなった時代が、現代です。
大量生産はできないものの、それゆえに、その価値も見直されており
このショールームも飾りではなく、日常使いのできるよい品物を提供、
提案できるように日々取り組まれていることがよく伝わってきます。
そして、なにより情熱を持ってこれからの城端絹の可能性を信じ、
邁進される6代目見習いの紀子さんにしばらく受けたことのないような
エネルギッシュな印象を感じてなんだか打ちのめされたような気分に
(おそらく、自分の仕事とその仕事に対する自分の姿の自堕落感に一刺しされたのでしょう。)
なったのでした。
さらに、絹織物や蚕について興味が深まりつつ、機業場をあとにしました。
南砺市城端 2017.7.12 撮影
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jarippe at 2017-07-21 14:48
お蚕様 そういわれていた時代もありましたね
私は子どもが小学生になった頃から20年近く蚕の仕事をしました
片倉工業 昔の片倉製糸で 蚕の蛹の雌雄の選別や桑を与えて飼う事が主な仕事でした
研究所みたいなところでしたので種類が混ざらないように気を使いました
そんなわけで 蚕とか製糸に関することを見聞きすると興味が湧きます
当時の人たちの生糸にかける情熱は凄いものがうかがわれますね
富岡製糸が片倉のものだったころ案内してもらったりしましたが
壊さないでそのまま保存していてよかったと思っています
私は子どもが小学生になった頃から20年近く蚕の仕事をしました
片倉工業 昔の片倉製糸で 蚕の蛹の雌雄の選別や桑を与えて飼う事が主な仕事でした
研究所みたいなところでしたので種類が混ざらないように気を使いました
そんなわけで 蚕とか製糸に関することを見聞きすると興味が湧きます
当時の人たちの生糸にかける情熱は凄いものがうかがわれますね
富岡製糸が片倉のものだったころ案内してもらったりしましたが
壊さないでそのまま保存していてよかったと思っています
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tabinoirodori at 2017-07-21 22:26
jarippeさんも、懐かしく思っていただき、うれしいです。
記事をアップした甲斐がありました。
日本の伝統産業や技術は見直されてきてはいますが、やはり今の日本にとっては
経済性や効率が優先されすぎて、継承していくことがあらゆる面で難しい
ことだと、改めて強い懸念を感じます。
ただ、「松井機業」さんのチャレンジング・スピリットには衝撃を受けると
同時に、富山にこんなところがあるんだという発見で、誇らしくなりました。
記事をアップした甲斐がありました。
日本の伝統産業や技術は見直されてきてはいますが、やはり今の日本にとっては
経済性や効率が優先されすぎて、継承していくことがあらゆる面で難しい
ことだと、改めて強い懸念を感じます。
ただ、「松井機業」さんのチャレンジング・スピリットには衝撃を受けると
同時に、富山にこんなところがあるんだという発見で、誇らしくなりました。
by tabinoirodori
| 2017-07-21 00:06
| まち歩き
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